歴史
300年以上にわたり、バークレイズは業界のトップリーダーとしての役割を越え、様々な成果を上げてきました。ここで、歴史の節目となった出来事のいくつかを紹介します。
17世紀後半、ロンドン・シティの通りは金匠銀行家で溢れていました。彼らは王家や商人に対し、世界各地で展開する事業のために必要な資金を提供していました。 1690年、こうした金融業者の1つがジョン・フリームとそのパートナーのトーマス・グールドによってロンバード通りに設立されました。バークレイという名称は、ジョン・フリームの娘の夫であるジェームズ・バークレイがパートナーとなった1736年から用いられるようになりました。
18世紀にはプライベート・バンキング業務が一般的な業務でした。顧客が預けた金(GOLD)は安全に保管され、信用力のある商人は融資を受けました。1896年、こうした20の業者が協力し、株式銀行を設立しました。
バークレイ・アンド・カンパニーと名付けられたこの新銀行の主要パートナーは、家系、取引、宗教上の関係により、既につながりを持っていました。この銀行は、創業者一族の伝統を反映し、クエーカー・バンクとして知られるようになりました。
この新銀行は、英国東部および南東部を中心に182の支店を持ち、預金総額は2,600万ポンドと、当時としては相当の金額を有していました。バークレイ・アンド・カンパニーは複数の銀行の買収を通じ、支店網を急速に拡大しました。こうした買収の例としては、1905年のコーンウォール州および南西部におけるボリソス(Bolithos)や1916年のミッドランド州におけるユナイテッド・カウンティーズ・バンク(United Counties Bank)が挙げられます。
1918年には、バークレイ・アンド・カンパニーはロンドン・プロビンシャル・アンド・サウス・ウェスタン・バンク(London, Provincial and South Western Bank)と合併し、英国5大銀行の1つとなりました。1926年には支店数は1,837に達しました。
バークレイズのグローバル事業の展開は、コロニアル・バンク(Colonial Bank)、アングロ・エジプシャン・バンク(Anglo Egyptian Bank)、ナショナル・バンク・オブ・サウスアフリカ(National Bank of South Africa)の3行の合併に伴い、1925年に本格的に始まりました。バークレイズの海外事業は、アフリカ、中東、西インド諸島の大部分の地域に拡大しました。 1981年、バークレイズは米国証券取引委員会に届け出を行った最初の外国銀行となり、ニューヨーク市場において長期資本を調達しました。1986年には、東京およびニューヨーク証券取引所に株式を上場した最初の英国銀行となりました。
バークレイズのグローバル展開は1986年には勢いを加速し、投資銀行部門が新たに創設されました。1995年には、バークレイズはファンドマネージャーのウェルズ・ファーゴ・ニッコー・インベストメント・アドバイザーズを買収しました。同事業はBZWインベストメント・マネジメントと統合され、バークレイズ・グローバル・インベスターズとなりました。 2003年7月、バークレイズは1910年に設立されたスペイン最大クラスの民間銀行グループ、バンコ・サラゴサーノ(Banco Zaragozano)の買収を完了しました。 2005年7月、バークレイズ・バンク・ピーエルシーはアブサ・グループ・リミテッド(Absa Group Limited)の過半数株式を取得する重要な取引を完了したことを発表しました。アブサは南アフリカ最大のリテール銀行で、700万人以上の顧客を擁しています。
バークレイズは2008年、リーマン・ブラザーズの北米投資銀行および資本市場業務を買収しました。この買収により、すべての主要市場、そして株式、クレジット、債券、合併・買収(M&A)、コモディティ取引、外国為替を含むすべての主要業務におけるバークレイズの主導的な地位が確固たるものとなりました。今日、バークレイズは英国のパートナーシップのグループから、欧州、米国、中南米、アフリカ、カリブ海、アジア中東、オーストラリアで代表されるグローバルな銀行へと成長しました。 2013年2月、前年9月からグループ最高責任者となったアントニー・ジェンキンズの下、Transformプログラムという経営戦略を打ち出し、グループ全体の事業の抜本的な見直しをすると同時に新たなバークレイズの目的と価値観を打ち出しました。
2014年5月には、本計画に基づく目標達成を加速化することを目指し、コーポレート・アンド・パーソナル・バンキング、バークレイカード、アフリカ・バンキング、インベストメント・バンクという4つの部門に再編しました。